2024年3月14日に「『先送り』というネグレクト」という記事で、皇位継承問題の議論を空転させて先送りにする姿勢を、「ネグレクト」(放置による暴力)になぞらえて批判しました。
その中では、倉山満サイトの記事「皇位の男系継承は約七割の期間(倉山塾メルマガより)」中の記述を引用し
立憲民主党も
皇位継承問題に関する党の合意が成立。
その内容、既に報道されていますが、
「可能な限り恥をかかないで済んだ」
でしょう。
女性宮家を求めるけど、
「決めないことを決めた」
です。
なんとかここに持ち込みました。
立憲民主党尊皇派の方々の、
尋常ではない奮闘で何とかなりました。
「決めないことを決めた」状態に持ち込んだなどと、議論を撹乱・空転させた事を自慢するような記述を批判しています。
本日発売のSPA!2024年4月2日号掲載の「言論ストロングスタイル」中でも「立憲民主党が決めないことを決めたことは、決定的に大きい」などと、国会や政党の存在意義を根本から否定するトンデモ発言を繰り返していますが、もう一つ見逃せないのが「間違っても『自分が考えた理想の皇室』を押し付けてはならない」という記述。
これで何度目かわかりませんが、倉山の著書より劣悪すぎる一節を引用します。
これは、「自分が考えた理想の皇室の押し付け」の中でも、最低に下劣な部類のものです。
きっと倉山は「自分の考えではなく、皇室の先例に基づいて書いただけ」と言うかもしれません。それであれば倉山は、悠仁さまが進学されたり、論文作成へ熱心に取り組まれるような事に「皇室に弓引く行為だ!」(倉山が好んで使う表現)とでも言うのでしょうか。
倉山は常套手段として、他者が皇室に関して発言する事を牽制しながら、自身はかなり強引な理屈や強い主張を書き連ねるという行為を高頻度で行います。
それは今回のSPA!の記事中でも各所にみられます。冒頭部分の例を挙げてみましょう。
まず倉山は
1.結婚後も女性皇族が皇室に残る
2.旧皇族の男系男子孫を養子により皇族とする
3.旧皇族の男系男子孫を直接皇族とする
という、令和の有識者会議で示された3つの案を挙げます。
1.について倉山は「女性宮家の創設」とイコールであると定義付けます。これは私も「そうでなくてはおかしい」と思うので、倉山も「一つの家庭内に皇族と国民がいるのは無理がある」とちゃんとわかってるんですね。
ただ、有識者会議の報告書でさえも両者をイコールとしていないので、これは「倉山の考える理想」に過ぎません。自身が掲げる謎ルールは、ここ(本文中ではまだ出てきてない時点(笑))で既に瓦解しています。
次に2.について、倉山は「旧宮家の男系男子孫が女性皇族との婚姻で皇族となる」事であると謎の定義付けを行いますが、これも有識者会議の報告書にそんな記載はないので「倉山の考える理想」ですね。裏を返せば、倉山は「養親になる皇族なんていない」という事をちゃんとわかっているからこそ、こんな強引な「私見」を出しているんだよね。
そしてその後がハイライト。これらを踏まえた上で倉山は、1.と2.は「同じ話」であると、?????の無限ループになるような事を言い始めます。ものすごーく好意的に見ても、これは「自分が考えた理想の皇室」の中でも相当に濃い部類のものと言えるでしょう。
「どうやったら、こんな愚劣な文書を作成できるのか」倉山の記事中の一節を、そのまま氏に贈りましょう。
さて、その価値観は私には理解できませんが、倉山満が「意見」を発する事自体にはなーんの異存もありません。言論の自由が保証された一般国民だしね。
ただし、それは結局、倉山の言葉を使えば「自分が考えた理想の皇室の押し付け」と何ら変わらないもの。「言論」人なら、自分を安全圏に置こうとせずに、堂々と自分の意見を表明しなさいよ。本当にみっともない。
ちなみに「3.旧皇族の男系男子孫を直接皇族とする」は、さすがに違憲まっしぐらの無理筋とわかっているのか全然触れていませんが、後段で立民の意見書に「『皇室を日本国憲法によって捻じ曲げよう』とする意思しか伝わってこない。」などと怒っているので、きっと本音は憲法14条がイマイマしくてタマラナイんだね。
冒頭でリンクした「先送り」というネグレクト、そして昨年書いた「男系男子固執」は国民による皇室へのDVという記事などで繰り返し述べた通り、男系男子固執論にはドメスティック・バイオレンスと似た精神構造が流れていると常々感じています。
「決めないことを決めた」と状況の空転に歓喜するようなマインドは、精神的な暴力性の中でも最も陰湿かつ卑劣なもの。
国民同士として、皇位継承問題に関する倉山満の言説や行状に大きく異を唱えると共に、今後も見過ごせない発言などを批判して行きます。